2012年01月29日

モラル模索 - 遠藤周作の場合

遠藤周作の『海と毒薬』を、いつからか手にしていた。割に最近のことだ。
だが、なぜか読む気にはなれず、ずっと放置していた。(エルネスト・ゲバラ『ゲリラ戦争』も、そうだけれども)
自己啓発本の類にばかり耽溺していて、文学からは離れていた。

しかし、ふと読み始めてみて、短い小説だったこともあり、最後まで一気に読んでしまった。
思い出したのは、学生時代に読んだモーリアックの『テレーズ・デスケールー』だった。
その版の日本語訳を担当したのが遠藤周作、その人だったからだ。

モーリアックも、遠藤周作も、同じテーマを扱っているように思えた。
自分は学生時代は、モーリアックと同梱されていたジッドにより心地よい共感を覚えていて、モーリアックは難解だったし『テレーズ』に関しても、テーマが何なのか、どういう意味だか、最初はさっぱりわからなかった。
ジッドはわかりやすかった。それに、若者に対して開かれた内容のものが多かった。
『背徳者』は若者向けではないが『狭き門』は、まさに若い魂に向けて書かれていたし『田園交響楽』等も同様だった。
『法王庁の抜け穴』も、陰謀というストーリーが若者向けな気がする。

『テレーズ』は、言うなればもっと露骨で、ジッドほど丁寧な説明がないのだ。
人間のもつ暗闇を、一人称で、淡々と描く。
一人称だから、その人物がもつ最大限の論理的思考以上のものは、そこには描かれない。
それを了解したのは、何度も読んでみた後の、もう(長かった)学生時代も終わりの時期だった。

今回読んだ遠藤周作の『海と毒薬』も、同じテーマではあったが、モーリアックより丁寧で多角的だった。
背表紙に「日本人とはいかなる人間か」を追究する、と書かれていた。

それこそ陰謀めいた話になるが、今の日本国内の情勢、原発を巡る議論・・・いや、議論ではもはやない、と信じたいのだが、どうやら、現代においても同じテーマを考えざるを得ない状況が、目の前に転がっている。
政治屋、電力会社、彼らは自身の利益ばかりを追っている。
国民、市井の民のこと等、眼中にない。

解説から引用しよう。
<舞台は戦争末期の九州の大学病院だが、そうした「みんなが死んでいく世の中」「病院で息を引き取らぬ者は、夜ごとの空襲で死んでいく」ような状況下でも、相変わらず教授間の勢力争いは一向やまない。有力な教授たちの最大の関心事は、次期医学部長の椅子を我が手に確保できるかどうかに向けられている。助教授のほうはと言えば、これまた教授のポストを狙って業績稼ぎに余念がなく、そのためには、貧しい施療患者を危険な新型手術の材料に利用することも辞さない。助手にとっては、もっぱら主任教授のご機嫌が悩みの種、というわけだ>
<やがて、あの忌まわしい仕事(※ネタバレ:アメリカ人捕虜の生体解剖)を引き受ける決意へと教授を駆り立てた最大の原因も、軍とコネをつけることで、保身をはかろうというところにあった>

まるで現在の日本の構図そのままではないか。
市井の民は戦争に依って死んでいく、戦争を福島原発のメルトダウンに置き換えられる。
教授の「ポスト」を狙った醜い争いは、政府と電力会社のやりとりにも見える。
アメリカ人捕虜は・・・現時点ではまだ顕在化されていない。いずれ出てくるだろう。

そして、このままの情勢で何十年かすれば、すっかり風化してしまうだろう。
解説から引用する。
<銭湯で顔を合わすガソリン・スタンドの主人が、頭にシャボンをつけたまま、中国での暴行の思い出をしゃべったり、近所の洋服屋が元憲兵だったりする。数年前に残虐な暴力をふるった男たちが、素知らぬ顔で、いや当人にはその意識すらなくて、平和な日常生活に立ち戻っている>

なるほど、戸田や勝呂のような人間たちも、あるいは今の日本のこの状況、政府や電力会社の中にも、おそらくいるだろう。
だが、だからと言って何になる?
当事者の自分、そうした現実に「酔って」感傷的になり「自分は巻き込まれた」と思い込んでいるにすぎない。
防ごうと思えば、防げたかもしれない。
声を上げようと思えば、上げられたかもしれない。

ここが結局、遠藤周作の掘り下げた「日本人」なのかもしれない。
要するに、傍観者の体質なのだ。

こうして文章を綴っている自分、これにしたって例外ではない。
特別、被災者の方たちのために何かできたわけでもない。
ただ怒りを、それもごく単純な義憤をおびて、反体制に廻っているだけのことだ。
利権集団を敵視している。それは本当に直接被災され被爆された方たちのためか?
利権から降ってくるだろう「財」に、実は嫉妬しているだけなのではないのか?

関東圏は、もはや放射能に汚染された。
外へ出るには、マスクをしたほうが賢明だ。
テレビが毎日流す「線量」の情報も、本当かどうか怪しいものだし、元来安全な数値、危険な数値というのは、現段階ではわかっていないのだ。
先ほど、アメリカ人捕虜の役は顕在化していないと書いた。
それはそういう意味だ。
我々の内部被爆による病気や死によって、はじめてデータが得られる。
我ら市井の民は、実験用のモルモットに過ぎない。

大分キツい表現を使ったが、しかし、結局これが現実ではないのか?
今、国内で動いている原発はわずかだが、電力供給は充分だ。枝野大臣もそう会見した。
ならばなぜ、今停止している原発たちを、また動かす必要があるのか?
それについては説明がない。説明したくない事情があるからだ。

疲れた。本当に。
だが、自分はまだまだ、自身に対して厳しくあるようにせねばならぬと思う。
真実から目を背けてはならぬと思う。
自分自身の心の奥底にある、本当の本音、そこから目を離してはいけないと思う。

ようやっと、人生とは何かがわかってきた。
なぜ生きるのか、その意味が、わかりかけてきた。
自身をうまく騙し仰せてきた半生が、自分にはある。
ただこれ以上は、もう騙せる気がしないし、嘘をつける胆力もない。

しかし、自分に嘘をつかずに生きるのは、非常に難しい。
社会や世間からは、面倒くさがられ、あるいは排除されるだろう。
何か特別な能力でもない限り、それでも社会に必要とされる資格はない。
だから自分は今、大博打に出た訳だ。
それも、もういい歳だ。
モラトリアムに浸かっていていい期間はとっくに過ぎたし、青臭い考えも、捨てきれてはいないが、できる限り手放している。

いや、無駄に長く文章を連ねるのはよそう。ここで一端、止めにしておく。
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2012年01月26日

FUJIFILM X-Pro1

ついに来た、富士フィルムのミラーレス。
公式サイトはこちら
記事/概要はこちら

ルックスがX10なんかと同じ、銀塩カメラを彷彿とさせるデザインで、好感がもてる。
小難しいこと言わなくとも、モノとしての価値を感じさせるカメラだと思う。

もちろんスペック的にも、これまで他社が発表してきたミラーレス機とはひと味違う。
撮像素子だが、銀塩フィルムの特性を盛り込んだ「X-Trans CMOS」なる新開発CMOSを採用。
サイズ的にはAPS-Cだが、フルサイズに近い解像度やノイズ低減に成功したという。
画像処理エンジンも、これに最適化されたものが開発され、搭載されている。

マウントは新開発の「Xマウント」なので、同時に発表された同マウントのレンズを使用することになる。
が、これもどんどん増えていくだろうし、他マウントのレンズも装着できるようになっていくに違いない。

ファインダーが付いていて、かつ光学式と電子式と切り替えて使うことができるようになっているのも素晴らしい。

サンプル画像を公式サイトにて観てみた。
撮影者の好みもあるだろうが、ずいぶん渋い色目だ。
派手さはない。
が、解像度が高く、しかもそれがうるさく感じられないところが、このカメラあるいは撮像素子のいいところなのかもしれないと思った。

なんとなくライカを想起させるが、そういえばライカもM9-P(フルサイズM型)を出した(公式サイトはこちら。また記事はこの辺り→1or2)が、もちろん製品としてライカの矜持を感じるし、製品としてこれ以上のものはないのだが、素人がこれを買う必要性があるかというと、正直ないと思う。
少なくとも、自分個人はそう思う。

Nikon-1が出たときには、ひとつの完成形というか、ミラーレスも落ち着いてきたような気がしたが、このX-Pro1で、またミラーレスに面白い方向性が出てきたと思う。
個人的には、かなり購買欲をそそられるが、ちょっと厳しいかな。(苦笑)

FUJIFILM X-Pro1_480_1.jpg
posted by roro at 16:56| Comment(2) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月25日

3.11後の日本(日記から抜粋)

自分は日頃、日記をつけている。その中から、今日は抜粋して転載する。

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ここからは、政治や権力に対して、どう接していけばいいかの考察だ。

 今、日本はとにかく原発について揺れている。福島第一がメルトダウンしていたことを国の機関や大手マスコミが隠していたこと、SPEEDIのデータをやはり隠していたこと、被災地に住んでいた方々が避難しそこで困らないような補償の仕方を国なり東電がしっかりやってくれないこと、実際には火力と自然エネルギーだけで電力としては足りるにも関わらず、利権のために日本全国の原発を再稼働しようとしていること、そのカモフラージュの意味もあるのか、電気料金の引上げをしはじめていること、・・・挙げていたらキリがないが、とにかく国や官僚と保安院、さらに新たに原発に関する利権機関を作ろうと国が画策しているが、それらと各電力会社の癒着がはっきりとあること、そして、そこで発生する利権に、政治屋のほぼ全員の目がくらんで、国民の声を無視して、突っ走ってしまっていること。しかもこれまでは隠密にやってきたようなことを、今はもはや隠れもせずに堂々と、露骨なまでに犯している。

 毎日、ツイッターからイライラさせられる情報が入ってくる。もちろん、放射能の情報も入ってくる。イライラさせられ、線量に対してはマスクをする等の対策をせねばならず、こんなことでは、福島からの実害を待つまでもなく、精神を病むとか、いろんな弊害が出てしまうだろう。

 そして、そういった情報はテレビや新聞等の大手マスコミは一切流さないので、自分たちの親世代は何も知らない。それどころか、そういう事実があることを知らせても「私らは30年後にはもういないから」と(傲慢にも)答えるのだ。

 webを知る我々世代、30〜40代くらいの、まさに働いて社会を支えている世代が、本当は政治に関して最も影響力をもっていなければならない筈なのに、社会がそういう仕組みになっていない。未だに、今はもう年金生活者の団塊世代の票が、社会の仕組みを決める。それはどう考えてもおかしいのだ。

 ホリエモンはweb投票を解禁すべきだと論じていたが、それもひとつの手だと思う。webを知る知らないの違いは、そこにある情報の真偽は別としても、その人の意見を大きく変えるだろう。可能性のあるなしによって、考え方は変わる。

 そして、今のうちに福島のメルトダウンやその後の後手後手な国や付随する機関の対応、保安院や電力会社の不誠実は、今一点を向いている。それは「責任の所在がどこかを曖昧にしておく」という思惑だ。東電は「事故」と言った。我々に責任はないという意味だ。国も話をとにかく膨らませて、複雑にして、責任の所在が、保安院なのか、環境省なのか、経産省なのか、とにかく、どこでもなくなるように取りはからおうとしている。

 必要なことは、1)福島をはじめ、直接被災された方々が避難されている先で生活に困らないように、しっかり社会が補償すること、2)被災地に残っている方々にも同様、生活のために作付けせざるを得ないという状況にならないように補償すること、かつ被災地からの食品等は一切流通させないこと、3)被災地から全国自治体に瓦礫がばらまかれるのを阻止すること、4)各地の電力会社の1社独占がなくなるように新規参入がやりやすい仕組みをつくり、かつ国民が選ぶことのできるようにすること、5)マスコミに関しても、大手の独占状態にある現状を止めて、電波オークション法等の導入によって、偏りや、あるいは洗脳と言ってもいいだろうが、そういった情報による弊害を、国民自身で選択することによって解消できる状況をつくること、6)原発の再稼働を止め、利権を解体すること、だ。

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以上抜粋。

これは先日、ほとんど丸1日かかって、自分の今やれること/やるべきことを、まず目の前の自身の生活に関してと、今日本で起こっている原発に関わること、特に政治や環境に向かって今なされなければならないことを、自分なりに整理して日記に書き上げたのだが、その中の一部だ。

正直なところ、後者の意味で自分に直接できることは、ない。
だが、webを通して、情報をキュレーション(とまで言えるレベルかどうか怪しいもんだが)つまり選ぶことはできる。
自分はジャーナリストでもなんでもないけれど、市井の一市民がどんなことを考えて暮らしているのか、そのサンプルになるくらいはできるだろう。
その意味で、抜粋を載せた。

世の中の役に立ちたいなんて傲慢なことは考えていない。
けれど、だからと言って投げやりにもなりたくない。
嘆息でなく、ひとつの真理や目標を掲げられたと言えるなら、それに越したことはないのだが。
posted by roro at 20:31| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする